ウィーンの画材屋さんに行く
2月の中頃、久しぶりにウィーンの画材屋さんに行ってきました。
ブラチスラヴァから電車で1時間ほどかかります。
国境が地続きということが、未だに不思議に感じることがあります。
ブラチスラヴァ中央駅から電車で15分か20分くらいで、オーストリア。
国境を超えた後は、車内放送はドイツ語です。
一つの単語すら分からなくて、ドイツ語とは縁がないなあと思いました。
ドイツ語の硬さを感じる聞きなれない響きが、新鮮に感じました。
スロバキアと国境を接している国は、オーストリア、チェコ、ポーランド、ウクライナ、ハンガリー。
昔のスロバキア人は、ロシア語、ドイツ語、ハンガリー語、スロバキア語の4か国語を話せる人が結構いたんだよと、自慢げに版画工房の主が話していたのを思い出しました。
スラブ語派、ゲルマン語派にフィン・ウゴル語派かあ。 特にハンガリー語はかなり異なるので、すごい脳みそだなあとしみじみ感心してしまいます。
小さい国なので必要に迫られたのだと思うけれど、スロバキア語に四苦八苦している私にとっては、ちょっと次元がちがう話だなあと思うのです。
すぐ近くに、違う言語や文化をもつ人たちが暮らしているからなのでしょうか、人に接するスタンスが、他人は違うものという前提があるように思えることがあります。
思い出すのが昔、息子が幼稚園帰りにいつも寄る公園で、ベンチに座って他のお母さんたちとおしゃべりに興じていた時。
自分がどのような経緯でスロバキアに来て、何をしているかを話した時、とてもさっぱりとした聞き方をしてもらって、楽だなあと思った覚えがあります。
私には私の人生が、あなたにはあなたの人生が、というような。ごくごく普通に、「あ、そうなんだねー」という感じが、爽やかで気持ち良かったなと、ふと思い出しました。
さて、ウィーンの画材屋さんは商品が充実していて、とても楽しかったです。
ブラチスラヴァの画材屋さんは、地方の小さい画材屋さん的な規模なので、田舎から都会に出た気分満載です。
画材を買ってから、ついでに楽しいガラクタがいっぱいの蚤の市を見て回り、また電車でスロバキアへと帰りました。
風が強くて寒い日だったので、写真をとる気にはなれず、カメラは出番なしの日でした。
それにしても、さっきまでドイツ語が周りに溢れていたのに、電車でほんの1時間ほどで、またスロバキア語の世界へ戻っていることが、なんだか腑に落ちない。
近隣のハンガリーの村に行く時も、なんだか妙な気持ちになります。あれ、ほんの30分ほど前までは、スロバキア語世界だったのに、もう言葉が通じない世界へきている・・・。
そういう時、私の好きなバンド、ゆらゆら帝国の「2005年世界旅行」の歌詞とメロディーが、なぜか頭の中に流れます。
国境は遠いもの、という意識がまだ残っているんだなと改めて思いました。
12月の散歩と匂い
数年前から、暮しの手帖に載っていた、素晴らしく美味しく且つ手のかかるシュトーレンを毎年12月に作ります。
スロバキアのご家庭では、クリスマスには色々な種類のお菓子を焼くのですが、我が家では数年前からシュトーレン一筋となりました。
10月頃から柑橘ピールを作るために、せっせとオレンジやレモンの皮を冷凍しておきます。
大変なのは、柑橘類の皮の内側の白いところを取り除く作業。
忙しい時は、手がかかるなあ、でも美味しいしなあと葛藤しつつ、黙々と作業するうちに、柑橘類の良い香りで幸せな気持ちになり、満足した気持ちで作業を終えます。
シュトーレンの生地を作るときも、シナモン、ナツメグ、カルダモンなどの香辛料の香りが、たまらなく良くて、幸せな気持ちになります。
匂いって、すごい作用するんだなあ。
焼き上げて、バターを3日間かけて塗り、粉砂糖を振りかけて完成。
時間がかかる分、完成した時の満足感が高いなあと思います。 今年もやったぜ、みたいな。
しかも美味しく、家族にも差し上げた方にも喜んで頂けて。
最近は、根を詰めてラフスケッチを描いているので、いつも夕方くらいから肩こりが酷すぎて気持ち悪くなり、夕方は散歩に出るようにしています。
24日クリスマスイブの夕方は人影が少なく、とても静か。お店やスーパーもお休み、車通りも少ない。 気持ち良い、しんとした静けさです。 今日は気温が高く、首に巻いたマフラーがちょっと暑いかなと感じるほどでした。
散歩から帰ると、胃の気持ち悪さも消えて、夫が作るクリスマス定番のすっぱいキャベツのスープを煮込む良い香りが空腹を呼びました。
夕方家に帰ってきて、食べ物の良い匂いが漂うと、ほっとして温かい気持ちに。
そのうち息子が焼くパンの匂いが流れてきて、小麦は食べられないけど、パンの焼ける良い匂いだけでも、ご馳走さま!眼福ならぬ、"鼻福、鼻福”といった感じです。
散歩は最強、お風呂は天国、そして匂いはリラックス。と思う師走の日々です。
ノントキシック銅版画の冊子
ノントクシック銅版画の技法の冊子が、日本から届きました!
「Non-Toxic Intaglio Printmaking ノントキシック銅版画への誘い」
著者は、湊七雄氏、マルニックス・エヴェラート氏。
ネットでも公開されているのですが、文字が潰れて、判読できない箇所が多々あり、冊子を送って頂きました。
ハードグランドについては、気になっていた「BIGエッチンググランド」(イギリスで開発されたノントキシックハードグランド)について書かれており、使い勝手が良さそうだなあと思っていた私の予想を裏付ける内容でした。
でも、ちょっとお高いんだよなあと思って、使用していませんでした。
スロバキアでは販売されていませんので、ネット注文のみが可能となりますが、今は郵送代が爆上がりで、更にお高くつくかも・・・・。
冊子は丁寧な内容な上に、最後には著書の両氏の対談が載せてあり、とても良かったです。
励まされた気持ちになりました。
やっぱり最初は、大変だっただなあと。 でも新しい技法で、作品を作ることの可能性を信じているところが、素敵でした。
ノントキシック銅版画を続ける上で、やはり困難だと思うのは、情報があっても、材料の入手が困難、または代替品を探す労力、手探りで進めていく自分のモチベーションをどう保つか、というところです。
作品を完成させることだけを念頭に置くと、技術的なつまずきが失敗、又は手間がかかる、という捉え方になってしまうので。
良い面を考えてみると、自宅で版画の作業ができるし、もちろん健康面でも、心配はとっても減りました。
回り道を楽しみながら、作品を作っていくことを楽しめるといいなあと思います。
銅版の脱脂の際に、とっても使い勝手のよい醤油の代替品を、まずは制作しよう!と思います。 急がず、ぼちぼちと。
昔は100均で醤油を買って、ばんばん使用していましたが、スロバキアでは、とてもとてももったいなくて、使われません・・・。
日本の大学の版画工房の水道付近は、いつも醤油くさかったなあ。
ノントキシック銅版画の冊子
ノントクシック銅版画の技法の冊子が、日本から届きました!
「Non-Toxic Intaglio Printmaking ノントキシック銅版画への誘い」
著者は、湊七雄氏、マルニックス・エヴェラート氏。
ネットでも公開されているのですが、文字が潰れて、判読できない箇所が多々あり、冊子を送って頂きました。
ハードグランドについては、気になっていた「BIGエッチンググランド」(イギリスで開発されたノントキシックハードグランド)について書かれており、使い勝手が良さそうだなあと思っていた私の予想を裏付ける内容でした。
でも、ちょっとお高いんだよなあと思って、使用していませんでした。
スロバキアでは販売されていませんので、ネット注文のみが可能となりますが、今は郵送代が爆上がりで、更にお高くつくかも・・・・。
冊子は丁寧な内容な上に、最後には著書の両氏の対談が載せてあり、とても良かったです。
励まされた気持ちになりました。
やっぱり最初は、大変だっただなあと。 でも新しい技法で、作品を作ることの可能性を信じているところが、素敵でした。
ノントキシック銅版画を続ける上で、やはり困難だと思うのは、情報があっても、材料の入手が困難、または代替品を探す労力、手探りで進めていく自分のモチベーションをどう保つか、というところです。
作品を完成させることだけを念頭に置くと、技術的なつまずきが失敗、又は手間がかかる、という捉え方になってしまうので。
良い面を考えてみると、自宅で版画の作業ができるし、もちろん健康面でも、心配はとっても減りました。
回り道を楽しみながら、作品を作っていくことを楽しめるといいなあと思います。
銅版の脱脂の際に、とっても使い勝手のよい醤油の代替品を、まずは制作しよう!と思います。 急がず、ぼちぼちと。
昔は100均で醤油を買って、ばんばん使用していましたが、スロバキアでは、とてもとてももったいなくて、使われません・・・。
日本の大学の版画工房の水道付近は、いつも醤油くさかったなあ。
ノントクシック銅版画のハードグランド
ノントクシック(無毒性)銅版画をやり始めて、7、8年くらい?になるでしょうか。
従来の銅版画のテクニックは、有機系の溶剤(シンナーの類)やアスファルトを使用するので、残念ながら環境や体に優しくないものです。
ただやはり、従来の銅版画の長年かけて確立されたテクニックは、堅牢だなあと思います。大学でみっちり学んだこともあり、私の場合やりやすさの軍配は間違いなく、昔のテクニックに上がります。
ちょっと前にニュージーランドの版画工房のサイトを拝見して、そこに載っていたリキッドハードグランド(防蝕剤)レシピを試してみました。
材料がめっちゃくちゃ値上がっていて、泣けましたが・・・・。
おお、以前のノントクシックハードグランドより描きやすい!ということが判明。 もうちょっと塗り方や、配合を調整すれば、もっと描きやすくなりそうな気配がします。
まったく同じ材料をそろえることができなかったので、調整は不可欠という予測はしていたものの、これくらいの描きやすさが実現するとは、嬉しい限りです。
腐食後も、線が壊れていたりすることもなく、きっちり防蝕してくれました。
下の写真は、テストプレートで新しいグランドを試した後に、描画を始めた版です。
版画を描き続けたい気持ちと、ノントクシックに切り替えたことでの描画の困難さが、ずっとくすぶっていたので、一筋の光明がさしたようです。
なんのことはない、単純にわーい嬉しいな、という気持ちです。
スロバキアでもノントクシックも浸透していけばいいなあと思いました。
従来のテクニックは否定しないけれど、選択肢があるといいなあと。
私がスロバキアの美大に留学したころは、腐食室(銅版の腐食にあたって硝酸を使用する場合、有毒ガスが発生するので換気ができる別室を使用します)すら大学には存在せず、廊下やアトリエでみんな銅版を硝酸で腐食していて、おったまげたものです。
うーん、ワイルド。
さすがに今はちゃんと腐食室も存在していますが。
ノントクシックに挑戦する方がいらっしゃれば、ニュージーランドの工房サイトもぜひご参考にしてください。
https://nontoxic-printmaking.co.nz/acrylic-resist-etching/
出来上がったリキッドハードグランドは、洗濯機から出る排水のような微妙な色合いですが(もともとのレシピと違う材料を使用した為)、使用感は、私が試した中で一番使いやすいと思いました。
ちなみに上の写真は、意味もなくベランダからの朝焼け写真です。
それとも光明が差したっていうのと、関係があるかしら。
最近は霧や曇りの日が多いので、たまに晴れると、なんだかそれだけでラッキーな気分になります。
エゲルのミナレット
7月の末、取材の旅で宿泊したハンガリーの町エゲルは、城址があり教会堂があり、古い建物や、長い長い地下道が残る、歴史を感じさせる町でした。
その昔トルコに攻められ、一度は撃退したものの、その後の攻撃で開城を余儀なくされました。
約100年ほどトルコの支配が続き、今も古いミナレットが一つだけ残っています。
“ミナレット”という文字を見た時、聞いたことがあるけど、一体なんだったけ・・・と
暑さぼんやりした頭で思い起こそうとしましたが、出てこず。
実物を見て、あっそうだ、イスラム教の寺院の塔だったと思い出して、すっきり。
高さ40m、内部の階段は97段とのこと。
年を取るとともに、なぜか高いところが苦手になってきたのですが、子供たちと共についテラスまで登ってしまいました。
高所恐怖症の夫は、地上で待機を宣言。
細い塔の中は、狭く急こう配で、且つすり減ってすべすべつるつるの石の螺旋階段が続いていました。
降りるときが思いやられると思いつつ登ってしまうのは、旅のテンションのなせる業と言えましょう。
階段は電灯で照らされていましたが、昔はどうしてたんだろう、という疑問が頭に浮かびました。
とても小さい窓がほんの数か所あるものの、窓が無いところは、真っ暗になること間違いなし。
この急勾配を蠟燭を手に登った? それとも真っ暗闇の中を?
登り切って出たテラスは非常に狭く、真下を見るのは更に恐ろしく、息子などは、直訳すると「〇〇〇漏らす!」というスロバキア語常套句(肝を潰した様子を表します)を叫んでいました。高いところが苦手なんですね・・・。
私も、真下なぞ覗きこんでしまった日には、足がへにゃへにゃになってしまいそう。
その反対に、息子の友人のM君は平気なご様子。
「高いところ、大丈夫なんだねー」というと、余裕しゃくしゃくの笑顔で応えてくれました。
どきどきしながらテラスを一巡し、さあ帰ろうと塔の中にはいると、立ったままでは、とても降りられそうもない階段が目に飛び込んできました。
毎日これを上り下りした人は(確かイスラム教は毎日5回祈るのではなかったっけ・・)、大変な身体能力が身につくだろうなあと思いながら、まだ下につかない!と叫ぶ子供たちの声を聴きつつ、一段一段階段に腰を掛け、そろりそろりと下っていきました。
地上にたどり着いたのち、ふと腕を見ると、ひじに擦り傷ができていました。
階段を下りている最中は、痛みを感じる余裕などなかったようで、まったく気づきませんでした。
後になって、りっぱなかさぶたに。
昔は占領の象徴、今は観光資源のミナレット。
時を経るということの有難さ、みたいなものを思いました。
ハンガリーのパローツの村
先週から1週間ほど、ハンガリーへ取材兼家族旅行へ行ってきました。
ハンガリーのエスニックグループ、パローツ人の民話を翻訳・絵本の企画をたてている最中なのですが、書籍やネットでの資料集めが難しいことと、民話が採集された場所に行って、自分の目で見たい気持ちがあり、ハンガリー語が母語である夫の協力を得て、取材に行って参りました。
パローツの語源は、テュルク系遊牧民クマン人の別称、ポロヴェツに由来しているといわれています。
現在も、生活様式や民族衣装など、独特の文化を保っているそうです。
ハンガリーには他にも色々なエスニックグループが存在しますが、カフカスや黒海のあたりの遊牧民族を祖とするグループも多いようです。
民話を手掛けるたびに、それぞれの文化に触れることがとても楽しく、わくわくします。
民族衣装の刺繍や家具のモチーフを見ていると、わくわくし過ぎて、頭がくらくらしそうなくらい。
手を掛けて作られた美しさに、なんとも言えなく、心惹かれるものがあります。
民話が採集された村は、山間の自然豊かな場所でした。
すぐそばにハンガリーで一番標高が高い山(1000mほど!)があります。
北東部に位置するエゲルという町から、バスで1時間ほどUカーブがくねくねと続く山道を登ったり下ったり。
夫も息子も、今回の旅行に同行してくれた息子の友達も、くねくねにやられて気持ち悪くなっておりました・・。
さて、目的の村に無事?到着、数年前に火事にあったという古民家も復元されており、さらに民族衣装や昔の家具などが展示されている家へ行き、資料写真をパチパチ撮りまくりました。
展示されているものの事ならなんでも聞いてちょうだい!と事前におっしゃってくださっていたおばさまは、ご家族が病気で外出できず、電話で展示物について説明してくださったのですが、まるでその場にいるかのような話っぷりに、感心してしまいました。
パローツの古民家です。
天井が低く、入り口は更に低いので、背の高い人は頭を打つ危険が・・・。
古い民家の中は、驚くほど涼しくて気持ち良かったのですが、外に出ると地獄!のような暑さでした。
ハンガリー滞在中は、本当に気温が高く、暑い中の取材はその後も続くのでした・・・。